140字で足りないこと

最近「うみねこのなく頃に」を始めました。

「うみねこのなく頃に」はなぜ真相を明かさないのか

 今年で10周年を迎える「うみねこ」。

 その内容については、やや否定意見の目立つゲームではあるが、なぜそんなことになっているのかといえば「作中で真相が明かされないから」である。

 

 たまに見かけるのは「読者に真相を当てられたので作者が逃げた」という推測だが、それはかなり的外れだ。後発のメディアミックスである漫画版では、かなり詳細な解答が提示されたが、原作ゲームをリアルタイムで追い掛けていた当時に、その解答をズバリ当てていた読者はかなり少ないように記憶している。

 具体例を挙げるならば、通称「南條殺し」と呼ばれる謎で、これはEpisode3に出題され、ゲーム通しての屈指の問題であるが、原作ゲーム完結時においても作者の想定解に至れている読者は少数派だったように記憶している(ただし僕の観測範囲が2ちゃんねるに偏っているため、その他の公式掲示板やmixi等ではどうだったか分かりません)。
 
 「作者が真相を用意していなかったのでは」という推測もある。これについても、後発の漫画版で整合性の取れた解答が提示されているため、間違いだと考えられる。
 まあ、たとえば「原作では用意していない真相を漫画版までに取り繕った」というような邪推ができないわけでもないが、それは連載作品である以上は原作ゲームで真相を明かしていたとしても猶予期間の長短しか変わらないので、そう思うならそう思うしかない。

 

 


 さて、個人的には、かなり隙のない作品だと信じ込んでいる「うみねこ」なのだが、にもかかわらず、作者は真相を提示しなかった。実際には根本のトリックは種明かししているのだが、やや不親切な解答編であったことは否めない。
  また「うみねこ」は、その独特の世界観から「実際に何が起こったのか?が曖昧なまま終わる物語である。

 というのもEpisode1からEpisode6にかけて、「ひぐらし」のようなパラレルワールドの物語が展開されるのだが、それらが実は全て作中登場人物たちの書いた原稿の上での話、つまり劇中劇であったことが明かされるのだ。
 Episode7以降については、その内容が作中の原稿なのかどうかすらも明かされないので、「我々は何を読まされているのか?」という感覚に陥ることだろう。

 実はこの部分についても大きな誤解が生じていると感じていて、基本的にはうみねこ」も「ひぐらし」と同様にパラレルワールドと考えている。ただ「ひぐらし」よりもメタ構造が明瞭に描写されている分、"いかにも劇中劇っぽく"見えてしまうところはある。このあたりの詳細を語ると記事が一つ書けてしまうので泣く泣くカットします。

 

 ここからが本題。「うみねこ」はなぜ真相を明かさないのか、についてだが、これは作者が現実に即したミステリーを書こうとしたからではないかと考えている。
 いや、「うみねこ」の物語がファンタジー要素が強いのは確かだ。しかし、その骨子に当たる部分は、かなりリアルなのだ。
 
 たとえば「うみねこ」で展開される事件において、トリックの肝となるのは「登場人物を買収して共犯者にし、犯人側に都合のいい証言をさせる」である。ここさえ理解してしまえば8割の謎は解けてしまうほどだ。
 この「買収&口裏合わせ」のトリック。古典的な糸や紐を使用した仕掛けよりも、よほど現実的に不可能犯罪を行えてしまう。というか現実に迷宮入りとなった事件の何割かはこんな感じなのかもしれない。

 

 では「真相が明かされない」。これについてはどうか。
 現実世界において、なんらかの事件が起これば、警察が捜査し、犯人が捕まり、裁判によって罪状が確定することだろう。しかし、そこまでのプロセスを経て至った真実というのは、あくまで多くの人間たちによる地道な努力による推測の積み重ねでしかなく、世界の上位存在(=神)から唯一無二の真実だと保証されるものではない。もしも神によって事件の真相が提示されるなら冤罪という概念は存在しないだろう(とはいえEpisode5では夏妃が冤罪に掛けられたわけだが。まあ神様にも色々いるので……)。

 

 だからこそ作者である竜騎士07は、「うみねこ」で真相を明かさなかったし、作中現実の六軒島で何が起こったのかも曖昧なまま、物語の幕を閉じたのだろうと思われる。
 それを作者が上位存在である魔女たちの口を借りて保証させてしまえば、それはフィクションとしてのミステリーであり、作者の描こうとしたリアルなミステリーとして成立しなくなってしまうのだ。

 

 


 「うみねこ」では「赤き真実」というギミックがあり、これは絶対の真実と保証される文章が赤色で表示されるというものである。しかしこれは作中において、殺人事件の物語を俯瞰する魔女にしか使えない。

 この魔女たちは通称「メタ世界」と呼ばれる階層の存在であり、事件が起きる作中現実よりも一歩メタな存在である。これは作者が作品に対して絶対性を振りかざしていることと同じ構造だ(もっとも作者の絶対性が保証されるのは作品内に記述されたテクストだけで、作外での発言などはそうでもないと思っています。恋愛経験がなくても「うみねこ」は読めるよ
 
 一方で、「黄金の真実」というギミックがEpisode5になって登場する。これはEisode8で種明かしされるが、その場にいる登場人物全員の総意が黄金色(実際には黄色)で表示されるというものだ。

 たとえば二人きりの空間で手品を披露し、その両者が「これは魔法だ」と主張すれば、その主張が黄金の真実となる。尖った表現をすれば「全員が信じた嘘は真実になる」を体現したギミックだと言ってもいいだろう。

 かつて天動説が支持されていた時代、太陽が地球の周囲を回っていたというのは、当時における黄金の真実だ。そして現代では、地球が太陽の周囲を回っているとされているが、これも残念なことに黄金の真実でしかない。なぜなら上位存在によって、地動説の信憑性が保障されているわけではないからだ。
 つまり「黄金の真実」とは、人間たちが上位存在の保証を受けず、もっともらしく紡いだ真実のことだ。
 「黄金の真実」というワードはダブルミーニングで、黄金によって買収して証言させた真実という意味合いも含ませている。ゲームマスターが「黄金の真実」を使用できるのは、六軒島において黄金を所持していて登場人物を買収できる立場だからだ。

 

 Episode5以降においては「赤き真実」を「黄金の真実」が打ち負かす場面が何度か登場する。これは「うみねこ」の着地点を象徴するような描写で、これは結局のところ、上位存在である神様が絶対の真相を提示しようとも、それを受け止める人間たちがそれを拒否するならば、人類全員の総意である「黄金の真実」が「赤き真実」に打ち勝つことを示しているのではないか。

 

 


 ちなみに、この記事の終盤になって補足するのもどうかと思うが、うみねこ」には「地の文が嘘だらけで信用できない」という意見もある。
 実際、探偵役である人物の主観描写以外は、事件を撹乱するようなものであることがほとんどだ。これは「場にいる全員が承諾した真実は地の文で語られる」というギミックが用いられており、共犯者しかいない場面においてはトンデモ魔法描写がウンザリするほどに出現する
 ただこれも、考えようによってはリアリティのある話だと感じていて、我々は世界の何処かで事件が起きたとして、それを自分の目で見て耳で聞くわけではなく、なんらかのメディアを通じて把握するしかない。ただメディアによって伝搬される情報は、第三者の主観でフィルタリングされたものだ。同じ政治の話題でも、右派と左派のメディアでは報じ方が全く異なるように、自分が直接に見聞きしたもの以外は、大なり小なり誰かにとって都合のいい情報に歪められている。うみねこ」は、現実世界における情報というものの有様をやや極端に描いているに過ぎないのだ。

 


 さて、長々と書き散らしたところではあるが、つまりうみねこ」はなぜ真相を明かさないのか、というのは、作者の竜騎士07が、現実世界と同じような世界観のミステリーが描きたかったからだと、僕は考えている。
 もちろん、明快な解答を期待していた読者には肩透かしだろうし、面白くないと感じることを否定するつもりはない。しかしこういうオチだからこそ僕は「うみねこ」を支持するし、未読の人々には一度読んでみてほしいと思っている。