140字で足りないこと

最近「うみねこのなく頃に」を始めました。

うみねこのなく頃に ルールXYZ


ルールX

事件は主犯+複数人の共犯によって遂行される


主犯=真犯人の正体は、魔女ベアトリーチェである。これは一個体のニンゲンではなく、魔女という人格(キャラクター)そのもの。この人格(キャラクター)は右代宮理御=安田紗代によって演じられる


ベアトリーチェは魔女であるため、人間の在島人数に含まれない。基本的に殺人や密室構築には直接関与せず、共犯関係にあるニンゲンを使役して事件を実行する


事件の見立てが第九の晩に至ると、復活の儀式を完遂したと称して、ベアトリーチェは自らの手で殺人を行うことがある。第1のゲームの夏妃殺し、第3のゲームの南條殺しなどがこれに該当する


安田紗代の演じる紗音・嘉音、そしてベアトリーチェの忠実な僕である源次は、全ゲームで共犯者であり、ほぼ全ての殺人はこの三人の手により遂行される


安田紗代の出自を知る熊沢と南條も全ゲームで共犯関係にある。主な役割は偽証である


上記ⅴⅵ以外の共犯者はシナリオによってランダムに選定される


ベアトリーチェは隠し黄金、それを秘密裏に換金した現金で親族や使用人を買収、あるいは脅迫により共犯関係を結ぶ


買収された共犯者たちは殆どが偽証を行うのみに留まるが、殺人を実行するケースもある。第3のゲームでは紗音、嘉音、源次が死亡しており、その後の殺人の続行のため買収した絵羽に殺人を遂行させた

 

ルールY

場の全員が口裏合わせをした嘘の証言は、地の文(ト書き)で現実として描写することができる


地の文が登場人物の主観描写である場合、その人物によって偽られ、都合よく脚色されることがある


上記ⅰⅱは買収された共犯者に限らず、全ての登場人物に許されている。たとえば夏妃は買収されていなくても金蔵と会話する場面が地の文にて記述されている


探偵役に限ってはゲームの公平性から客観的視点を義務付けられているため、上記ⅰⅱⅲのルールは適用されない


買収した共犯者には、魔女である犯人の主張として、黄金蝶を始めとした魔女幻想を地の文で目撃させることができる


共犯者以外であっても、既に死亡した人物、または死に至る直前(具体的には30分前)の人物については、地の文で魔女幻想を目撃させることができる。純粋な犠牲者が魔法で殺害される描写はこのルールに基づく


上記ⅵは犠牲者自身が主観を偽ることに依拠しているわけではないため、探偵役にも適用される。第2のゲームの戦人が黄金蝶を目撃するのはこのルールに基づく


一人二役(三役)である紗音と嘉音を同時に視認することは、魔女幻想の目撃と同様の扱いとなる。厳密には一人二役であることを知る源次、熊沢、南條は共犯者でなくとも同時視認が可能であるが、彼らは全ゲームで共犯者であるために事実上、共犯者特権であると言える

 

ルールZ

事件は殺人事件+碑文解読という二つの出題を組み合わせた形で提示される


殺人事件は探偵役である戦人を対象にしたミステリーであり、事件の動機は6年前の罪を思い出させて謝罪させることにある


碑文解読は安田紗代が自身の運命を決定するために仕組んだゲームであり、安田紗代は碑文解読者に右代宮家の家督と自身の生殺与奪を委ねる心算でいる。彼女は特定の人物が碑文を解読するという結果を期待はするものの、結果が与えられること自体が目的であるため誰が解読しても、あるいは解読されずともそれに従う


二日目24時を迎えた時点で時間切れとなり、地下の大量の爆薬に繋がれた時限装置が作動。屋敷の周囲一帯が爆破される


殺人事件を中止させる方法は、戦人が犯人を特定するか、誰かが碑文を解読してゲームの勝者であると認めさせるしかない


上記ⅴのように戦人が犯人を特定したとしても、殺人は中止されるが時限装置は作動する。安田紗代を殺害したとしても同様である。爆破を回避するためには碑文の解読が必須となる


碑文解読者には隠し黄金、九羽鳥庵への通路の鍵、時限装置の解除方法が与えられる。地下通路は施錠されており、碑文が解読されない限りはそこから逃亡することはできない

うみねこ咲をプレイして

2010年に最終話となるEP8が頒布され、小冊子等で新規短編は公開されつつも、「golden witch」を題したナンバリングの新シナリオは完結以降では初めて…ということでメチャメチャ緊張しつつのプレイでしたが、結論から述べると良質な短編シナリオでした。

ぶっちゃけ、プレイ直前までは珍しく胃がキリキリしており、その理由と言えば、うみねこ咲の主題歌「白金のエンピレオ」の歌詞がヒジョーに不吉だったせいです。"愛を知る者たちを嘲笑い虚妄に還す"とか歌ってるんですよ。怖い。

……そんなわけで、今回の新シナリオで、我々がEP8までに築いてきた幻想やら妄想やらをひっくり返してくるのではないかとガクブルだったわけです。……まあ、ある意味では、その通りではあるんですが。

 

■新シナリオ「lastnote」について

「難易度は高め」ということなのでで覚悟して挑んだものの、実際のところ結構あっさりバッサリ犯人が特定できてしまったのでは?

今回は「私はだぁれ?」という一点のみの出題。ただし魔女幻想の肯定・否定は問わないことになっていました。

……正直。この難易度の高さを理解できずに読み終えてしまってるプレイヤーもいるような気がします。なぜなら結局のところ右代宮明日夢という"ニンゲン"が正解なオチだったのですから。

ピースのゲームの真の恐ろしさは"幻想の魔女や家具"が犯人だという解答でも十分に許されるところにあるのです。

それはロノウェでもルシファーでも構わない。彼らがこのたび初披露の魔法で親族を殺害した…が正解だとしても、それは今回のゲームでは許されてしまう。作中で戦人やベアトが指摘した青き真実「ピースが犯人である」を、ちゃんとクソ真面目にシリアスに捉えられましたか?

まあ、所詮は幻想描写じゃん? と切り捨ててしまい、名有りの登場人物から"ニンゲン"に絞り込んで適当に挙げれば犯人に思い当る…みたいな方法でも今回は切り抜けられちゃうわけですが。

…っていうか、実際にピースが霧江たちを殺してるんですよね、あのカケラでは。ウィルも「死体なき事件であることを禁ず」と言ってるでしょ? どっちにしろ死体は消されちゃってますけどね。フェザリーヌのカケラというのはそういうことです。ベアトと違って、何も制約がない。

で、シナリオ自体はめっちゃ泣けました。というか割と早めに正体が特定できてしまうせいで、存分に涙腺が緩ませられるって寸法かもしれません。そしてうみねこファンならば、どこかで聴いたことのあるBGMが流れ始めた時点で、その曲のタイトルを思い出せれば確信できてしまう。憎い演出でした。

 

■新魔女ピースについて

魔女を名乗って登場する新たな敵、ただのお淑やかな少女なワケがないでしょう?

アヘ顔ダブルピースで奇声を上げる「駒の魔女」のピース。…その能力は、髪をカーテンの海にして相手を呑み込み、その"存在"ごとを消し去るというもの。個性あふれるキャラクター、ビジュアル、新キャラとして申し分なしという感じです。

フェザリーヌ直属の刺客として登場したのは驚きつつも、確かに髪型似てるしな…と納得しました。

さて、フェザリーヌの駒たる彼女の魔法、ハチャメチャに高度で上位なものです。戦人たちが「黄金の魔法」に近いのではと考察していましたが、魔法としての格が違いますし、どちらかといえば「無限の魔法」の方が系統としては類似していると思われます。

ベアトの「無限」は、言ってしまえば過程の修飾によって、事実を上塗りというか、上書きしてしまう力があります。……実際はライフル銃で殺害したとしても、それを魔女幻想で事実を塗り潰し、魔女が魔法で殺したことにしてしまう。…ただし、それは元から記述されていた文字の上に、別の文字が印刷されたテープを貼り付けるようなもの。ウィルのような異端審問官にぺりぺりと丁寧に剥がされたら、元の文字が露見してしまう程度のものです。

一方でピースは文字を消しゴムで真っ白に消してしまえるわけですから、その恐ろしさは比較になりません。より、不可逆的というか。後には綺麗さっぱり真っ白な紙が残るだけ。虚無です。そこに再び世界を紡ぐなら、また0から鉛筆で書くしかないわけです。……まだ彼女の恐ろしさが理解できませんか?

たとえば。これこそ真実にして事実にして現実であり、その他は幻想妄想白昼夢の作中作だ! と言い切ってしまえるほどの「一なる真実」というものがあります。

「一なる真実」とは霧江と留弗夫が大量殺人に手を染めて絵羽に返り討ちに遭う、アレですね。…個々人が信じるか信じないかは勝手ですが、一般的な解釈だとそういうことになってます。

で、その「一なる真実」でさえも、消してしまえるのがピースなんです。だって実際のところ、我々は漫画版EP8で補足されるまで、奇跡的に無事だった安田紗代が地下通路で戦人と会って…なんて事実を知らなかったはず。あれはピースがカケラごと呑み込んでたのを、コミカライズで加筆があるというので吐き出してくれたものなんです。

……わかりますか? つまり原作者がうみねこという物語において、ここは描くべきか描くべきでないかと悩んだ結果の取捨選択。その「捨」にあたる力こそがピースそのものといってもいいでしょう。ここまで説明すれば、恐ろしさが理解できたでピスか?

ちなみにこのキャラ、07thファンには有名ですが新規描き下ろしデザインのキャラではありません。とはいえ没キャラでもない。かつて竜騎士07ローゼンメイデンオリキャラコンテストに応募した「金剛石」というキャラがデザイン元です。なんやねんそれ。

Episode6、最後の犠牲者は古戸ヱリカ?

仮説:EP6で古戸ヱリカは真犯人に殺害されたのではないか?

 

前提として

1.古戸ヱリカは当該ゲーム盤で殺人を犯している

2.ノックス第1条「犯人は物語当初の登場人物以外を禁ず

3.ヴァンダイン12則「真犯人が複数であることを禁ず

4.EP6の第二の晩の犠牲者は嘉音である

 

よって、古戸ヱリカは共犯者である

なぜなら...

事件遂行のために殺人を犯せるのは、(真)犯人か共犯者である

EP5以降の登場人物であるヱリカは犯人(事件首謀者)として認められない

嘉音を殺すことができるのは、嘉音を演じる人物=過去のゲームの真犯人だけである

 

 

Ⅰ.第6のゲームの真相

・古戸ヱリカ共犯者説/右代宮戦人探偵説

EP6の事件は、戦人たちの計画した狂言殺人のドッキリに乗じてヱリカが本当の殺人を実行したというのが真相だ。

そもそも狂言殺人だったのは何故か。それは殺人事件が発生するほどの動機が存在しないからである。

過去のゲームの真犯人が大量殺人を犯すに至るのは、探偵役である戦人に謎を解かせるためだ。この犯人と探偵の因縁・関係性があるからこそ、人が死ぬだけの事件が発生する。

一方でEP6の狂言殺人はヱリカを対象にしている。単なる来訪者である彼女に対して、本当の殺人事件を提示する必要性がない。だから飽くまでも「ドッキリ」に留まる。

しかしヱリカは実際に殺人を実行した。もちろん先述した通り彼女は単なる来訪者であり、右代宮家を殺害する動機はない。

…であれば、ヱリカは共犯の殺人代行者であり、事件首謀者が裏で手を引いていると考えるのが妥当だ。

 また事件に探偵役が必須であることはヴァンダイン6則で定められているが、EP6のヱリカは探偵ではない。

この事件首謀者たる真犯人の正体が過去のゲームと共通であるならば、探偵役もまた以前(EP5を除く)と同じく戦人であると考えられる。

つまり、探偵役の戦人が狂言殺人に参加するも、真犯人であるベアトリーチェと共犯者ヱリカによって本物の殺人計画が仕組まれていたというのが真相だ。

 

Ⅱ.ロジックエラー密室の解法

・嘉音⇔ベアト人格切り替え説

一般に、ロジックエラー密室の解法として考えられているのは、紗音・嘉音同一人物説を用いた「紗音が隣部屋の窓よりゲストハウスを脱出し、嘉音人格として客室に入室。客室内で紗音人格となることで、客室から嘉音を消失させる」という人格トリックだ。

当記事でも人格切り替えトリックを採用するが、ゲストハウス脱出は別にして、嘉音消失については嘉音⇔紗音人格トリックを必要としない。

嘉音⇔ベアトリーチェの人格トリックにより嘉音消失は説明可能だからだ。

以下は、ヱリカがベアトとの決闘時にクローゼットを青き真実で穿つときのテキストだ。

 放たれし5本もの青き真実の楔は、ベアトの頬や髪や肩を掠め、……クローゼットを扉ごと滅多刺しにし、中に隠れている人間を、扉ごと、抉り殺す……!
 その5本の楔は、縦に5本が真っ直ぐ打ち込まれていた。それは即ち、第四の晩に、頭を抉りて殺せ。第五の晩に、胸を抉りて殺せ。第六の晩に、第七の晩に、第八の晩に、抉りて殺せ殺せ殺せ…!!

 これはヱリカのクローゼット検証時、事件が既に第九の晩にまで至っていることを暗示している。この時点で嘉音は客室より消失、その代わりに復活した魔女ベアトリーチェが客室内に存在しているというロジックが通る。

そもそも恋人たちの決闘に敗北して肉体を失った二人が戦人の救出に向かうのだから、紗音をロジックに組み込むよりも、嘉音⇔ベアトのみで説明する方が、物語自体との整合性も保たれるだろう。

 

Ⅲ.第九の晩の殺人

・古戸ヱリカ最後の犠牲者説

ロジックエラー密室において「客室内を検証するヱリカは、"嘉音ではない人物X"を発見できるのではないか?」という意見がある。

まずはヱリカの密室検証をおさらいしたい。

客室はベッドルーム・バスルーム・クローゼットの3区分で構成されている。

ヱリカは客室入室後、ベッドルーム、次いでバスルームを確認した。そして彼女はバスルーム確認中に、クローゼット内の戦人と入れ替わりで嘉音が入室、ベッドルームあるいはクローゼット内に隠れたのだろうと推理し、再度ベッドルームとクローゼットを青き真実で貫いた。

つまりベッドルーム・クローゼットのどちらであっても、「少なくとも"嘉音ではない人物X"がいる事実をヱリカは発見できるはず」という指摘は妥当だ。

これについては以下、クローゼット検証時のテキストを手掛かりとしたい。

 その人影は、灰緑色のローブのようなものを、頭からすっぽりと被っていた。……無論、それにも穿たれたことを示す大穴が開いている…。
 やがて、それはローブではなく、雨ガッパだとわかる。
 ……ゲストハウスから大急ぎで走って来たなら、それを被ったまま客室に入ることになったとしても、不思議なことではない…。……そして、……ふわりと、………くしゃりと、………雨ガッパが、……人の形を失って、……崩れ、………黄金蝶の群となって、…消える………。

クローゼット内には雨ガッパを頭から被った人影があった。その人影は黄金蝶となって霧散するが、それは上位世界での概念的な描写だ。重要なのは少なくともクローゼット内に人影があったということである。

クローゼットの扉を開いたヱリカは、その中に潜んでいた人影と対面したのではないか。だが相手は雨ガッパにより顔も姿も隠していたため、正体が分からなかったのである。

さて上位世界において、クローゼット内に嘉音が不在であることを提示したベアトは、その直後に弾丸でヱリカの胸を貫いた。…同じことが盤上でも行われていないだろうか?

クローゼット内に潜む雨ガッパの人物=ベアト=真犯人が、扉を開けたヱリカを対面直後に殺害したのではないかと推測する。つまりヱリカは、確かにクローゼット内に“誰か”が潜んでいたことを認識しながらも、相手の正体が分からないままに殺害されたのだ。

メッセージボトルとか偽書ってどこまで記述されているんだろう…という話

1.メッセージボトル・偽書
メッセージボトルとは、右代宮真里亞の名義で記述された膨大な量の日記風手記。

また偽書とは、上述したメッセージボトルの贋作のこと。

実際の著者は安田紗代、もしくは八城十八などの偽書作家。

作中の魔女幻想については、メッセージボトルの物語が私見を交える観測者によって紡がれていることに依拠している(と、EP5の戦人は推理して真相に到達した)。

また、Confessionの点か情報により、執筆時における黄金蝶出現ルールなどが存在する事が判明。

そのためメッセージボトル・偽書ともに「魔女幻想」が記述されているとするのが妥当。

ただしEP6の縁寿が「前回のゲームでベアトリーチェが死んだこと」を知らなかったことなどから、メタ世界の物語は記述されていないと推測できる。

 

2.ベアトリーチェのゲーム盤

ゲーム盤というワードは多義的だが、ここではメタ世界から俯瞰される「盤上世界」ということにしておく。いわゆる戦人とベアトが論戦する際の「駒」側の物語のこと。

それぞれのゲームは、作中現実の可能性(カケラ)の一つであり、当然ながらメタ存在である魔女の介入も許される。

 

3.フェザリーヌの観劇する物語

作中最上位であるフェザリーヌの観劇する物語。「ゲーム盤を俯瞰するメタ世界」を俯瞰する位置にあり、EP6の縁寿視点といえばわかりやすい。

彼女の観劇する物語には「1998年世界」なども包括されると考えられる。

プレイヤーの視点に最も近いが、我々がフェザリーヌ自身を観測している以上はさらに上位の視点が存在すると考えられる。

 

4.造物主によって紡がれる「うみねこのなく頃に

造物主=神によって紡がれるのは、プレイヤーの観劇する「うみねこのなく頃に」という物語そのものである。

我々プレイヤーは作中のメッセージボトルや偽書の内容、またゲームマスターの朗読する物語をそのまま観測しているわけではなく、あくまで造物主の手によって編纂されたシナリオを読んでいるに過ぎない。

たとえばEP1お茶会においては、譲治が子供たちの最期の描写について言及しているが、EP1本編にそのような記述はない(ただしTIPSでは確認できる)。

また作中偽書「Banquet」に絵羽の生還が詳細に記されているとあるが、EP3本編にそのような記述はなかった。

作中キャラの観測する物語と、我々の観測する物語は一致しているわけではないのである。

「うみねこのなく頃に」で結局、真実として確定していることは?

全部です。以上。

 

 

……そもそも「うみねこ」の真実って何ですか?

 

たとえば、僕たちの生きている現実に何らかの事件が発生したとします。
そのとき、少なくとも「事件があった」という事実は存在するでしょう。
その事件は報道によって内容が拡散されるでしょうか。あるいはそもそも事件が発覚しないかもしれない。
しかし、僕たちが知ろうが知るまいが、「事件があった」という事実は唯そこにあるはずです。
……もしも伝え聞いた事件がフェイクニュースだったとしても、「事件がなかった」という事実が存在しうるでしょう。


ですが、うみねこ」はフィクションです。
最初から何もありません。「うみねこのなく頃に」という07thExpantion制作のサウンドノベル。それが事実じゃないですか?


もちろん、そんな話を聞きたいわけではないでしょう。
うみねこ」という物語の世界では、一体何が事実として存在するのか、というのが問いの趣旨のはずです。

 

言ってしまえば、僕たちは「うみねこ」という物語の世界の、全てを知ることができます。
あの物語がテキストで記述されている以上、テキストを端から端まで読み込めば宇宙の涯を見渡せるはずです。
スクリプト内の文字列を抽出したものをアカシックレコードと呼んでも差し支えはありません。

 

僕たちが読まされた、あのテキストの全部が、「うみねこ」の宇宙に事実として存在しているんです。
魔法バトルも、メタ世界も、黄金郷も、全てが「うみねこ」の宇宙に内包された事実なんです。

 

幻想描写は全部嘘であり、裏を読めば○○が犯行を行っている」というのは読者の憶測でしかありません。
確かに幻想描写は「ゲームマスターによる朗読」や「作中作内の記述」により説明できるでしょう。
しかし説明できるだけです。
僕たちが見せられてきたのは魔女の眷属による魔法殺人だったはずじゃないですか。なぜその裏を読もうとするのでしょう。
幻想描写は作中作だから、妄想だから、フィクションだから?

 

だったらどうして、フィクションである「うみねこ」に真実を求めるんですか?

うみねこの世界階層ってどうなってんの?

メタメタな階層の世界構造が複雑に見える「うみねこ」。

実は非常にシンプルに解釈できます。

 

とりあえず基本的な世界構造は以下の通り。

 

【下位】現実世界(人間階層)<メタ世界(魔女階層)【上位】

 

人間たちの階層の上位に魔女たちの階層が存在するということです。

Episode2以降では事件の起こる人間たちの階層をメタ世界から魔女たちが俯瞰していましたね。

 

しかしEpisode3以降では1998年の未来世界が登場します。これはどう解釈したらいいのか?

 

これも同じ。

1998年の階層の上位にメタ世界が存在します。

 

【下位】1998年の世界(人間階層)<メタ世界(魔女階層)【上位】

 

ただし人間の世界には時間軸が存在します。

「過去」に対して「未来」は常にメタ的であるため以下の通りとなります。

 

【下位】1986年の現実<1998年の現実<メタ世界【上位】

 

Episode8のラストで登場する数十年後の世界も例外ではありません。

 

【下位】1986年の現実<1998年の現実<数十年後の現実<メタ世界【上位】

 

さて、ここで「でも過去のゲームは偽書であり、全て作中作なのだから”現実”ではない。つまりゲーム盤は”一なる真実”の下位に位置する?」という疑問がわいてくるかもしれません。

 

確かにメッセージボトルや偽書は安田紗代や八城十八の執筆した作中作です。

しかし我々が見てきたゲーム盤は現実階層の安田紗代ではなく、メタ階層のベアトリーチェが提示した物語だったはずです。

つまり以下のような対比が発生します。

 

【下位】作中作の世界(偽書階層)<現実世界(人間階層)【上位】

【下位】ゲーム盤の世界(駒階層)<メタ世界(魔女階層)【上位】

 

上記の二つの階層構造を一つにまとめると、

 

【下位】作中作の世界(偽書階層)<現実世界(人間階層)= ゲーム盤の世界(駒階層)<メタ世界(魔女階層)【上位】

 

となるのが分かると思います。

 

さて少し話を戻しますが、現実世界(人間階層)では時間軸が存在するため、同じ階層であっても「過去<未来」のメタ構造が発生していました。

同じようにメタ世界の内側にも階層構造があります。ただしこれは過去・未来の時間軸というよりも、「概念としてより超越的な魔女ほど高次に位置する」といった抽象的な話になります。

具体例の方がわかりやすいかもしれません。つまり以下のような関係です。

 

【下位】ベアトリーチェベルンカステル・ラムダデルタ【上位】

 

ベアトリーチェが1986年の六軒島というゲーム盤に縛られているのに対して、ベルンカステルやラムダデルタは、より自由自在に時間や次元を超越することができ、1998年の縁寿にも干渉することができます。これは魔女世界の中でも彼女たちが高次の存在だからです。

 

現実世界にも階層の幅がある。メタ世界にも階層の幅がある。

ここで少しややこしい話をすると、未来に位置する【上位】の人間は、概念的に制約された【下位】の魔女と階層レベルで重なり合うことがあります。 

 

これも具体的な説明の方がいいでしょう。

1986年の現実を俯瞰するという点でメタ世界のベアトリーチェと、1998年の縁寿はほとんど同じ位置に立っていました。

 1986年のゲーム盤を階層レベル「1」とすると、1998年の縁寿の視点は階層レベル「2」、メタ世界のベアトリーチェも階層レベル「2」です。そしてベアトリーチェの上位に階層レベル「3」のベルンカステルたちが存在するわけです。

 

【下位】1986年の六軒島<1998年の縁寿=ベアトリーチェベルンカステル【上位】

 

と考えると、数十年後の世界を生きる八城十八たちは、現実世界の人間ではあるものの、かなり高次の階層に位置していることになります。

では彼らが最上位の存在なのか? 残念ながら、数十年後の未来と比較しても上位の魔女がメタ世界には存在します。それこそがフェザリーヌです。

 

【下位】ベアトリーチェベルンカステル<<<(越えられない壁)<<<フェザリーヌ【上位】

 

そもそもフェザリーヌとは何者なのか? 彼女を説明するためは現実世界の上位であるメタ世界を超越した「造物主階層」について語る必要があります。

 

造物主とは、一言で表すなら「ほぼ竜騎士07と同じ階層の存在」です。

メッセージボトルや偽書の作者は「人間」でした。ゲーム盤の作者は「魔女」でした。

そしてメタ世界を含めた「うみねこのなく頃に」という物語の作者が「造物主」なのです。 

メタ世界までは「うみねこのなく頃に」という作品内に記述されていますが、造物主の階層はもはや作外の領域。だから物語に登場しない。

それこそがフェザリーヌの経験した「死」です。彼女は一度キャラクターの領域を脱してしまったわけです。

 

しかしフェザリーヌは「うみねこ」作中に登場します。キャラクターとしての復帰。彼女は再び物語の中に「生還」したのです。

だからフェザリーヌは元造物主であり、相当に高位な魔女ではあるものの、「うみねこ」の造物主ではありません。つまりフェザリーヌを物語に記述した何者かが存在します。

 

それが「造物主バトラ」です。この「バトラ」はEpisode6でゲームマスターに昇格したメタ世界の「バトラ」とは区別されます。

右代宮戦人に対して八城十八が存在することを考えれば、「魔女バトラ」に対する「造物主バトラ」がいても不思議ではありません。

もちろん彼は作外領域の存在であるため、作中で直接的な描写はありませんが、僅かながらヒントは散らばっていました。

一つ目はEpisode6のバトラに関するTIPS

全ての真実、真相を知っているため、彼の存在する層は、あらゆる者たちよりも上位である。

二つ目は Episode8の締めくくりに表示される以下の文章

この物語を、最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ 

これらから、最上位のバトラが「うみねこのなく頃に」の作者と仮定するのは妥当だと考えられます。

さらに作中では八城幾子が十八の影武者として偽書作家「八城十八」 を名乗っていたことも、ヒントと言えるでしょう。

つまりあからさまに作中の「神」役として登場しているフェザリーヌの裏に、真の神(最上位存在)が隠れているというわけです。

フェザリーヌが八城幾子に対応するならば、最上位存在は八城十八に対応する存在となるはず。

それこそが「造物主バトラ」なのです。

 

つまり、最終的な世界階層を簡単に示すと以下のようになります。

 

【下位】現実世界(人間階層)<メタ世界(魔女階層)<作外領域(造物主階層)≒竜騎士07【上位】

うみねこのなく頃に超絶ネタバレ記事 その2

今回は事件における魔法描写を中心に説明するよ。

 

★魔女とか悪魔が普通に登場するけど、これちゃんと説明できんの?

前回の記事でも説明した通り、それぞれのシナリオは事件後に漂着したメッセージボトル(または二次創作として執筆された「偽書」)によって語られる物語に基づいており、これらはベアトリーチェの主張で構成された世界です。

一般に小説の地の文(ト書き部分)は「神の視点」などと言われたりしますが、うみねこにおいては「魔女の視点」。魔女の主張としての物語だから「魔法」が描写されるのは当然なわけです。

 

★つまり全部が嘘というわけやな?

むしろその逆で全てが真実なんですよね。

我々が見せられているのはベアトリーチェの創作した物語なのだから、物語の外はさておき、物語の内側=ゲーム盤上では魔法は実在するのです。

しかしベアトリーチェは「魔法はある」と赤字では語らない。なぜならそれを議論するためのゲームを開催しているから。

だからこそニンゲンとトリックで説明できるだけのロジックも用意されているのです。

 

そもそもうみねこのストーリーを楽しむためには

■観測者によって語られる真実が世界を構成する

という前提を踏まえるのが最重要になります。

 

ゲーム盤において「魔法を見た」という描写は観測者(居合わせた当事者)たちの口裏合わせによって行われます。

魔法描写に限らず、掛かっていない鍵を「施錠されていた」と語ったり、死んでいない人間を「死んでいた」と語ることも、これに該当します。

この口裏合わせに加担する人物は全員ベアトリーチェに買収されるなどして協力している共犯者です。だからベアトリーチェの主張に合わせた証言をするわけですね。

もしも探偵役である戦人が同じ空間に居合わせていたなら、「いや俺はそんなもん見てない」と反論することができますが、魔法描写が発生するのは探偵の見ていない場面に限られるので、「魔法を見た」という主張だけを我々は見せられるわけです。

 

(余談)これは一見ぶっ飛んでいますが、非常にリアリティのあるロジックです。

現実に生きる我々も、世の中のあらゆる事象を自ら見聞きしているわけではないでしょう。新聞やテレビ、あるいはネットというメディアを通して情報を得ているにすぎません。

ではもし、新聞が嘘を吐いていたら? テレビやネットが自分たちの都合のいいように情報を提示していたとしたら? それがないと言い切れない限り、我々の見ている世界もまた、他者の主張によって構成されているといってもいいのではないでしょうか。

 

根本となるトリックは共犯者による口裏合わせ。

ベアトリーチェは自らの資産で親族や使用人を買収して、自分の都合のいいように証言させることができます。

それにより「施錠されていない扉」を「施錠されていた」ことにもできるし、「実は死んでない人物」を「死んだ」ことにもできる。「Episode4で食堂に現れた金蔵」なども同じロジックです。

そして全員が主張する事象は現実のものとして地の文で描写されます。共犯者の主張はベアトリーチェの主張とイコールですから、一番最初の「ベアトリーチェの主張として記述された物語」として成立するわけですね。

 

★でもEpisode2では戦人も魔女を目撃してた気がするで?

魔法描写にはもう一つだけルールがあって、死ぬ直前(具体的には30分前)の人物については魔法を目撃させることができるのです。

「死人に口なし」という言葉がありますが、まさにその通りで、共犯者であるかどうかにかかわらず死ぬ間際についてはベアトリーチェの主張によって強制的に上書きされてしまうのです。

なぜなら物語の語り手がベアトリーチェだから。誰も証言仕様のない事象については無条件で魔女の主張が通ってしまうわけですね。

Episode7で語られる通り、2日目の24時には爆弾が作動して屋敷ごと木っ端微塵になるので、Episode2のラストにおける戦人も「死の直前」ということになります。

 

今日はここまで。