ひぐらしのなく頃に 「エウア=別世界の古手梨花」説
「フィーア、いやミツヨだったか。それとも…特異脊髄標本LD3105号と呼んだ方が似合いかな?」
上記は業21話でエウアが沙都子と初めて邂逅したときの台詞です。「フィーア」「ミツヨ」「特異脊髄標本LD3105号」は、「キコニア」から引用していると考えられる名称ですが、ここで重要なのはエウアが複数の名前を列挙したという点です
「哀れなことよな、…いや悲しくさえある。…あれほどに我を追い求めて那由他の時を彷徨ってきたというのに、遂にというこの機運に際し、そなたは我のことを既に忘却していたというのか」
邂逅時、沙都子はエウアに面識がありませんでしたが、それに対してエウアは「悲しくさえある」と感情を表明していました。卒13話でも「フィーアが記憶を失っていると知ったときは甚く興醒めしたものだが…」と語っています
つまりエウアとしては、長い時間を経て「フィーア」がようやく自分に辿り着いたと思ったら、すっかり記憶を喪失して別人になっており、落胆していたわけです
これを卒15話で示された「梨花と沙都子の関係」に照らし合わせると、一つの説が浮上します。それはフィーアは別世界における沙都子であり、エウアは別世界における梨花であるというものです
かつて赤き海の星、つまりキコニアの世界でエウアとフィーアは、梨花と沙都子のような追い・追われを繰り返していたと考えられます
その中で「フィーア」は姿や名前を変え、「ミツヨ」や「特異脊髄標本LD3105号」としてもエウアを追い求めていたのではないでしょうか
エウアが沙都子に対して複数の名を列挙したのは区別がつかなかったのではなく、姿や名前を変えたとしてもフィーア本人の魂であると理解していたためです
これを業卒の梨花と沙都子で喩えるならば、駅のホームでの別れから何千年何万年という天文学的な時間の果てに、全く異なる世界で全く異なる姿で再び邂逅しても、即座に目の前の人物が「沙都子」であると理解して名前を呼んだようなものです
沙都子はエウアを忘却していましたが、それでもエウアにとって沙都子はフィーア本人に変わりはありません。エウアが沙都子の願いを叶えるために助力したのは、退屈しのぎもありますが、好意による部分も大きいと思われます
「えー…、うー…あー……」
「それでよい…! やはりそなたはそなたであったな…!」
完全にフィーアの記憶を喪失していた沙都子でしたが、偶然とはいえ、エウアに対して「エウア」という名を与えました。恐らく「エウア」という名はかつての世界でフィーアに与えられたものと考えられ、エウアが「そなたはそなたであった」と喜ぶのも当然でしょう
まとめると、「エウアとフィーア」は別世界における「梨花と沙都子」に該当する存在であり、エウアの意味深な台詞は業卒とキコニアとの繋がりを仄めかすだけでなく、「最終話を経た梨花と沙都子」に訪れる可能性の示唆として機能していたということになります
なおエウアの正体については以下の記事で詳しく取り扱っています