140字で足りないこと

最近「うみねこのなく頃に」を始めました。

うみねこ漫画版EP8とはなんだったのか

ひぐらしのなく頃に、再アニメ化!

うみねこのなく頃に、コンシューマ版開発中!

 

そんなこんなで……

うみねこも漫画版EP8準拠でアニメ化してくれ~」

「コンシューマ版も漫画版EP8の内容で再録してくれ~」

という声も少なくないわけですが…。

 

「原作は最後が投げっぱなしだから漫画版EP8を読めばいいよ」

なんて声も昔からありますが…。

 

これだけ漫画版EP8が支持されるのには理由がありまして、大幅な加筆により「原作では明らかにされなかった真相」を読者にきちんと開示したという点が大きいと思われます。うみねこ風に申し上げるなら猫箱を開けたとでも言いましょうか。

 

特に第6巻に収録された「Confession of the golden witch」の内容は凄まじく、EP7におけるクレルの告白を一切の脚色なく描写し、さらには原作では語られざる空白の2年(ベアトが碑文を解き明かしてから事件が起きるまでの葛藤)すらも詳細にコミカライズされています。

 

この「空白の2年」については、EP7が頒布された2010年当時、「EP8で明かしてくれるんだろうなあ」と期待していた読者もそこそこいた記憶があります。ところが彼らは、実際のEP8で肩透かしを食らい、その後に頒布された「我らの告白」でも当該の内容には触れられませんでした。

 

…ということは、漫画版のEP8こそが、まさに読者たちに期待されていたEP8そのものの形でして、評価が高いのも頷けるというわけです。

 

ところがですよ。2020年、平成は終わり令和の世になってまで「うみねこ」に囚われている者たちというのは、原作のEP8を受け入れた側の人間です。それはつまり、猫箱を閉じることを選択した側の人間です。

 

なので、ヘビーな読者の間では、漫画版EP8のクオリティの高さについては文句ないものの、あのように真相を明かしたというスタンスについて必ずしも絶賛されているわけでもないのです。

 

ここから本題のような、そうでもないような話をします。

 

「そもそも原作と漫画版のEP8って、もはや別物じゃない?」と思うんですよね。

 

「EP8が誰のための物語なのか」と考えたときに、原作と漫画版では対象か異なっているんです。

 

まず原作EP8ですが、あれは「縁寿のための物語」に見せかけて、実はたぶん違うんですよね。一番最後の最後に「この物語を我が最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ」の一文が差し込まれるので、結局のところ原作EP8はベアトリーチェに向けた物語なんです。「縁寿はこうやって未来に生きていくよ、だから安心して眠ってね」というニュアンスですかね。

 

原作EP8は、その物語の対象がベアトだから、わざわざ真相を開示する必要がなかったんです。

 

対して、漫画版EP8は上述の、ベアトに捧ぐというテキストがありません。その代わり、一番最初の冒頭に、原作には存在しないテキストが追加されています。

 

今一度物語を紡ごう

安らかに眠る彼の人のためではなく

もう一人の大切なあなたのために

 

これ、明らかにベアトではなく縁寿ですよね。

そして今一度紡ぐ、というワード。

……つまりですね、漫画版は二周目なんですよ。原作EP8の読了を前提にして設計されているんです。

 

漫画版EP8は縁寿を対象にした物語である以上、語られざる部分も包み隠さず提示していきました。

 

まずは絵羽の日記の中身がEP7お茶会そのものであることが明かされました。

次に八城幾子がConfessionのボトルを拾い、安田紗代の告白が提示されます。

最後に、一なる真実において戦人が如何にして島を脱出したのかが描写されます。

 

漫画版で明かされたものとしては、この3つがメインでしょうか。

 

……さて、ちょっと逸れますが「原作の八城十八と漫画版の八城十八って中身が別人じゃない?」って話がしたいんですが、いいですか?

 

八城十八は、六軒島から脱出した戦人が記憶障害に陥って生まれた存在です。記憶そのものは殆ど復活しているのですが、その記憶を自分のものとして受け入れられない、という後遺症に悩まされています。

 

この八城十八の中にある記憶、…六軒島から脱出した戦人の記憶なんですが、実は原作の十八には「バトラ卿の記憶」があるんじゃないかと推測しています。

 

つまりEP8の最後で六軒島を脱出した二人は、第8のゲームのバトラ卿とベアトだったわけです。ハロウィンパーティーの地続きですね。ちなみにEP6でそれを示唆する台詞があります。

 

「ゲームは、消えるだろうな。……だが、俺はもう、魔法を完全に理解している。……だからお前を、ゲーム盤の外へ連れ出せる。………それが、お前の望みだったはずだ。」

 

で、八城十八は記憶を取り戻していくのですが、それはバトラ卿の記憶である以上、偽書の執筆も容易というわけです。そして数十年の時を経て、寿ゆかりと出会い、十八の中のバトラ卿は黄金郷に迎えられましたとさ……。めでたしめでたし。

 

ちなみに根拠っぽいものはあったりします。…実は、十八が1986年の六軒島の記憶をフラッシュバックさせるシーンで金蔵の姿があるんですよね。ハロウィンパーティーでは金蔵は生きていることになってたので。

 

さて一方で、漫画版はどうなのかというと、八城十八の中にあるのは「一なる真実の戦人の記憶」だろうと思われます。

 

…というのも、漫画版では絵羽の日記の内容が明かされ、事件当日の猫箱の中身が赤で確定してしまっています。だから原作のように「六軒島でハロウィンパーティしてました」のようなIFが許されない。

 

さあ、漫画版の十八も記憶を取り戻していきますが、今回はバトラ卿の記憶ではなく、ただの戦人の記憶です。これでは原作の十八のように偽書を執筆できませんね。

 

そこで漫画版オリジナルの「Confession」が登場するわけです。漫画版の十八は全ての真相が記されたメッセージボトルを読むことで、ようやく偽書を執筆するという辻褄を合わせられるのです。

 

ついでに、漫画版では十八のフラッシュバックの中に金蔵の姿はありません。一なる真実では既に死んでますからね。1986年には出会っていない。

 

そして漫画版の最後には、一なる真実で戦人が島を脱出するまでの過程が明かされます。これも十八に「一なる真実の記憶」があるからです。

 

その後、漫画版でも数十年の時を経て、寿ゆかりと出会い、十八の中の戦人は黄金郷に迎えられるわけですが、その黄金郷にはマントを羽織ったバトラ卿が既に待っていました。……なぜか? それはバトラ卿が一周目、つまり原作EP8で、既に黄金郷に迎えられていたからです。

 

漫画版EP8で黄金郷に迎えられた戦人は「一なる真実の戦人」です。…ということは、彼は原作の段階ではまだ黄金郷に至っていなかったということになります。

 

…ここで思い出して欲しいのは、ベアトの入水後に追加された漫画版オリジナルの描写です。

 

共に海に沈んだ戦人とベアトでしたが、気付けば二人はメタ世界に辿り着きいていました。しかし戦人には一なる真実での記憶がなく、そしてEP1からのゲームが始まるぞ…という展開になります。

 

ループっぽいですが、よく考えると別にループではありません。その後、メタ世界の戦人はベアトと論戦を繰り広げ、真相に至り、バトラ卿となるわけです。

 

ここで気になるのは「メタ世界の戦人、一なる真実の記憶がないよなあ?」という点です。だからバトラ卿にも一なる真実の記憶がなく、つまり原作EP8では「一なる真実の戦人」は物語から零れ落ちた存在だったのです。漫画版でようやく救済されたと、そういうことです。

 

…そう考えると、ベアトの事件の動機って「6年前の罪を思い出してもらうこと」なわけですが、メタ世界のベアトは「一なる真実において二人で会話した記憶」を思い出して欲しかったのだろうな…ってなりますね。原作ではそれが叶いませんでしたが、漫画版でようやく…。

 

まあ、そういうことなんですよね。原作は一周目、漫画版は二周目。これはもうセットで完成するものなので、漫画版だけ読めばいいってのは推奨できないよっていう、逆に漫画版読んでない原作プレイヤーは読んでねっていう、そんなオタクの主張でした。